ドイツを代表する弦楽器製作の街、ミッテンヴァルトを歩いてきた。
ミッテンヴァルトはドイツとオーストリアの国境近くに位置し、周囲を山に囲まれた風光明媚な小村である。
17世紀のマティアス・クロッツに始まり、現在まで弦楽器製作で知られている。また同地にはバイオリン製作学校もあり、同校を卒業した日本人が我が国に本格的なバイオリン製作技術を持ち帰ったことでも知られている。
訪れたのは5月中旬。
夕方、ミュンヘンを車で出発し1時間弱でついた。”ポストホテル”という郵便宿だった古いホテルに泊まる。
翌朝は目当てのぺルマン工房へ向かう。
ぺルマンは言わずと知れたコントラバス・メーカーで、おそらく世界で最も多く売れた高級コントラバスメーカーだと思う。ドイツに限って言えば、ぺルマンが1本もないプロオケは逆に珍しいんじゃないかな。マインツのオケも半分以上がぺルマンだった。
工房に到着。
まず女性の職人が出迎えてくれた。工房長ミヒャエル・クラーマー=ペルマン氏の娘さんで、今は修行中とのこと。
少し待ってからミヒャエルが登場。
彼によると、ミッテンヴァルトのほかに車で2時間半ほどのノイマルクト・ザンクト・ファイトにも工房があり彼の弟ラルフ・クラーマー氏が他の職人とともに楽器製作を行っていたとのことだ。残念ながらラルフ氏は昨年早逝した。
長年、ラルフ氏と共同で仕事をしていたとのことだから、ショックだけでなく、仕事上の影響も大きいと思う。しかし気丈な様子で仕事をしていた。
ミッテンヴァルトの工房は大きく4つのセクションに分かれているようで、作業室、ニス塗り室、材木室、展示室だ。作業室は一番広い部屋で、大きな窓からアルプスの山々を望む。作業台がいくつか並び、2-3人の職人が作業を進めていた。古い楽器もいくつかあり、修理も受け付けているそうだ。中には、初代ぺルマンの楽器もあった。ニス塗り室には、下塗りを済ませた楽器や乾燥中の楽器が並んでいた。展示室は圧巻で、正確には分からないが30本近い楽器が並んでいる。新旧様々なぺルマン、オールドなど。他の楽器店と違い、5弦コントラバスも多かった。
1-2時間集中して、いろいろな楽器を弾かさせてもらった。ヨーロッパの楽器店は、作業場と展示室が分かれていて、予約しておくと数時間一人で集中して弾かせてもらえることが多い。
ミヒャエルと談笑する。まずはぺルマンの歴史について。
初代はヘルマン・アレクサンダー・ぺルマン(1864-1934)だ。彼はマルクノイキルヒェン近郊に店を開き、コントラバスだけでなく様々な楽器を販売していた。主に普及品の楽器を扱っていたようで、ミヒャエル曰く「簡単な作り」の楽器ばかりだったそうだ。しかし商売はうまくいっていた。
彼の息子は2代目にあたるエーリヒ・マックス・ぺルマン(1897-1963)。彼はゲームチェンジャーだった。
はじめは父の工房で修業していたが、そこで廉価品を作る仕事には満足できなかったそうだ。そこで義父で”芸術的”バイオリン製作者だったエルンスト・フォークトのもとへ移る。
そこで得た知見を芸術的で優れたコントラバスを作ることを落とし込んだ。彼はガンバ型だけではなく、バイオリン型やブゼット型、それ以外にもさまざまなデザインのコントラバスを発明するなど、パイオニア精神ももっていたようだ。ケルプ・シュニットと言われるドイツの伝統的な彫刻をコントラバスに施したのも彼が最初だ。
また設計も非常に良いのだと思う。私が持っているマックス作の5弦コントラバスは、東ドイツの放送オーケストラで所謂ディーンスト・バス(業務用コントラバス)として、酷使されてきたにも関わらず、表板の隆起などまったく狂うことなく保っている。5弦は表板にかかる張力が高いため、隆起が損なわれてしまうことがしばしばある。
3代目はマックスの甥ギュンター・クラーマー=ペルマンだ。マックスには子がいなかったため甥がマックスの仕事を継いだ。
ギュンターの父(マックスの兄弟)は第二次世界大戦ではロシア戦線で戦い、ソビエトで終戦を迎えた。抑留生活ののち徒歩で帰ってきたという。ぼろぼろの身なりで帰ってきた父親を、ギュンターは父親だと認識できなかった。母親が「あなたのパパよ」と教えた、というエピソードがあったそうだ。
ギュンターはマックスのもとで勤勉に修業し、2020年に亡くなるまで数多くのコントラバスを製作した。音大などに広く出回っているペルマンのコントラバスは彼の時代のものが多い。
彼の代でぺルマン工房は東ドイツとなったマルクノイキルヒェンを離れて、西ドイツのミッテンヴァルトに移った。
4代目はギュンターの息子で、私が工房で話したミヒャエル・クラーマー=ペルマンと、昨年早逝したラルフ・クラーマー=ペルマンである。
戦争でドイツは多くの楽器を失った。劇場への爆撃で直接失われた楽器もあったし、戦後ソビエトに持ち去られた楽器も相当数あったそうだ。東ドイツの有名楽団のバス奏者が「良い楽器はみんな持っていかれた」と話していた。
しかし音楽はドイツ人にとってはとても大切な心のよりどころで、戦後はすぐにオーケストラも復活した。現在はプロオケが130団体もあるのだ。
そこで必要になったオーケストラ用の大型5弦コントラバスの需要を満たしたのがペルマンのコントラバスだったのである。なおドイツのオーケストラでは、日本で一般的に流通しているものよりも一回り大きな5/4サイズのペルマンが多い。
(つづく)

